木管楽器のアンサンブルの話

楽器の紹介で「〇〇は人間の声にいちばん近いといわれており...」という文言を頻りにみかけた(最近はそんな話をされることもなくなった)

楽器の音域が人間の声帯のそれに近いからといってどうということはない、なぜなら楽器はその人の声なので。ピッコロもコントラバスもトライアングルのビーターだって、楽器がその人の手に吸い付いたらなんだって人の声だ。

 

楽器によって性格がどうのという偏見に満ちた話もよく聞く。Obは気難しいとか、Flは目立ちたがりとか、Trbは酒呑みだとか(なぜかこれだけ性格ではなくたべものの嗜好だ)

これも詰まるところ楽器を長くやっていると楽器に沿った性質がよく露出するだけであって、楽器仲間がどんな人間なのかは断片的にしか知らないし、飲み会のような取り留めのない会話の機会さえも失った昨今では楽器を構えた姿しかわからない。

 

とはいえ木管アンサンブルに入る楽器たちは強烈な個性と結びつけられている気がする。2021年5月のN響でMozartのK.297b(Ob.Cl.Fg.Hr.でやる協奏交響曲)をやっていたのだが、YouTubeに上がったソリストインタビューでFg首席の水谷さんが「異種格闘技」と形容していてなるほどと膝を打った。木管とまとめられているものの発音体もキイシステムも内径のデザインもずいぶん違って(なんならホルンだっている)ユニゾンしてもそれぞれが独立して聞こえる。ところで音圧の微小な振動から音源を分離できる人間はすごい。

 

ばらばらな音色がぶつかって清濁すらも分からなくなったような響きが(心地よさを度外視して)許容されるのは木管セクションの数ある特徴の一つであると思っている。それもまた音楽、と許容させるだけの素晴らしい作品や演奏遺した先人に感謝

自分は木管の中では融通のきくほうのクラリネットを吹くので、濁らせないように心を砕いたり逆にゴリゴリにぶつけに行ったりと考えるのだがこれがまた楽しい。なんならどういうサウンドにするかの変数が多すぎて思うように制御できない。他方で完全な調和の末にオルガンに擬態することもある。自分でできたことはないが聴くと誇張でなく涙が出るくらい美しい。

 

木管はオーケストラでもソロ楽器として使われることが多いので、楽器のキャラクターと演奏家の個性の重なる部分が多いようにみえる。少なくとも自分はアマチュアながら人間性の発露と思って演奏しているし、「何を美しいと思うか」なんて言ってしまえば究極のプライベートだ。それを人に向かって開陳し続けるのだから音楽家はすごい。

本を買った話

Twitterにいる読書家の人に感化されて、ここ一年は本をそこそこ買いました。殆どが積んだままになっているのでぼちぼち読みたいと思っているもののついSNSとかに時間を喰わせてしまう。買ったジャンルはいろいろですがまとまって(?)読んでひとつながりの感想を持ったのが三島由紀夫なのでその話をかきます。

 

2019年といえば近代文学を題材にした漫画『月に吠えらんねえ』(清家雪子、全11巻、講談社アフタヌーン)が完結したのだが、単行本が出るたびに繁く読み返していたこともあり、近代文学なるものを手に取ってみようという意欲が育っていたので、芥川龍之介の短編をいくつかと、Twitterで少々話題になった中島敦山月記』、三島由紀夫などを読んだ。

 

思い返せば小中学生のころは図書館に通う系ジャリンコだったので活字は人並みに読んでいて、海外文学の翻訳物(ハリー・ポッターにはじまりダレン・シャン赤毛のアン指輪物語ナルニア国物語)か、児童文学(斉藤洋那須正幹岡田淳)などが主食であった。中学にあがると上に加えて当時のラノベ橋本紡とか)にもほんのりとお世話になり、恩田陸宮部みゆきも流行ったタイトルも文庫になるのを待って読んだ。このころ『吾輩は猫である』『山椒太夫』など読んだ気もするがなにも考えていなかったと思われ感想がない。なおはじめに言及した漫画『月に吠えらんねえ』のメインでもある詩歌句の世界は、教科書には島崎藤村萩原朔太郎も何篇か載っていたが理解が及ばないままであり、かろうじて、朔太郎の『しづかにきしれ 四輪馬車』という一節と、中学のときの国語の試験で初出の詩をよんで「この詩のタイトルをア〜エから一つ選べ」という問題が出たので当時狭量だった私は知るかいなと一蹴してしまった不幸な出来事を記憶に残すばかりであった

詩題の事件を除けばそれなりの活字好きだったので、高校の教科書で相見える芥川龍之介羅生門』、中島敦山月記』、森鷗外舞姫*』などから近代文学に順当に進みそうなものの、新書や講談社ブルーバックスに招かれたせいか小説などの記憶がない。大学入った頃に村上春樹をいくつか読んだのを最後に小説はしばらくお留守にしてしまった。

(* まいひめの予測変換で舞浜が一番最初にでてきた、学習データの偏りがこんなところにある)

 

そんな私も漫画のおかげで王道・近代文学ルートに遅ればせながら参りまして、昨年の初秋ごろから手始めに三島由紀夫をよんでいる。といっても亀の歩みのようで、『金閣寺』、『豊穣の海』、『禁色』ときて一時休止、『仮面の告白』に手を出したのがいま。筋も凄いが研ぎ澄まされた日本語の凄みに感嘆してしまった。人間の孤絶や非道さに背負われた美というか、こういったものへ惹かれるのは少なくない人にとっては性であろうし、安易に厨二などと言って揶揄するのは勿体ないような気もする。といっても惹かれるばかりで腹を切るような壮絶な自我はない

クラシック音楽でいうとある日突然ショスタコーヴィチのグロテスクさに魅了されるようなのと似ていると思う

 

そんなわけで三島由紀夫『春の雪』(豊穣の海第1部)から好きな節を引用しておわります


卓の上にぞんざいに脱ぎ捨てられた花やかな絹のきものが、しらぬ間に暗い床へずり落ちてしまっているような優雅な死。

春の雪、新潮文庫(1977年版)p130

 

LPのメモ(1)

LPのメモ

Schumann: Bunte Blatter op.99

Brahms: aus "6 Klavierstücke" op.118

Svjatoslav Richter

eurodisk / Melodia 1971

シューマンの幻想小曲集op.73を近日中にやるので,シューマンをいろいろ聞いてみようとおもって買ってみたうちのひとつ。

不勉強なのでシューマンのことをあまり知らなかったのですが(とりあえずWikipediaの「生涯」の項目を斜め読みしただけ),だいぶ苦労した人のようです。曲は好きだったので楽譜などみつつまた聴こうと思う。

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